行列に並ぶモノの心理
私がハワイへ初めて訪れたとき、パンケーキの店は大変に繁盛していた。あれは確か今から6年ほど前のことだった。そして今年、神奈川県の某所を歩いていたとき、パンケーキの店の前で大量に並ぶ人をみた。その列の美しさを思い出すと、やはり日本人というのは真面目なのだと心に染みる。セブ島へ来たいま、私はそのことを思い出しながら蛇行したマクドナルドの列に並ぶ。そして、ハッとしたのだ。
「巨乳とは、ハワイのパンケーキなのではないか。」
と。
私は子供の頃からおっぱいが大好きだった。それは当然、性の対象としてのおっぱい以前に、赤児の頃からの話になる。そして、しばしば「大きいのと小さいのどっちが好き?」と尋ねられた。私は「小さい方」と答えるのだ。なぜか。
それは、小さい方が楽しみが多いからである。大きいおっぱいとは、見ている分には楽しいが、その分期待値は上がる。乳輪や乳首の形、大人になった今ではその感度までが評価の対象となっている。しかし、小さいおっぱいとは期待値が低い分、新たな発見への喜びは一入(hito-sio)だ。当然、大きくてその他のポイントを抑えるおっぱいは崇拝に値するが。
そろそろ本題に入ろう。今夜もどこかのおっぱいが私を待っているのだから、仕事を早く切り上げなければならない。
つまり、私の意味する「巨乳」と「ハワイのパンケーキ」とは期待値が無駄に高いという点で共通する。そして人は口コミを信用し、人に評価されるモノを好む。人の評価を気にし、ブスとは付き合わない。人の評価を気にし、やりたくもない仕事をする。巨乳やパンケーキもそれらと同じなのだ。インスタでいいねが欲しい、巨乳を引き連れて周囲から羨望の眼差しを得たい。
真実の価値とは。
価値観はそれぞれだ。何に価値を感じ、何を好むかは人それぞれだ。みながBMWを好むからとて、それが本当に自分にとっていいモノだとは限らない。世間の空気に扇動され、巨乳に魅了される者を見、巨乳をステータスと考える人を見ていると、虚しくなる。その意味で、大して美味しくもないが周囲の流行に流され行列に並び、限られた人生の時間を無駄に使う人々を見、私はまた虚しくなるのだ。
あなたにとって本当に価値のあるモノは何か。それがわかるまで探し続けなければならない。おっぱいもそうだ。
「あなたにとって本当に魅力的なおっぱいとは何か。それがわかるまで、揉み続けなければならない。」