コンプレックスは最強の武器である。

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上昇志向か厭世家か。

 どんな人間でもコンプレックスを抱えている。大人の男なら、自身の学歴、キャリアそして収入が上位にくるだろう。私自身、学歴については10代後半で死にたくなるくらい「劣等感」を感じていた。浪人中に「劣等生」という小説を書き始めるくらいに悩んでいた。その小説では、主人公の男は最後に死ぬ。つまり、少なからず自殺願望があったのだろう。

 1人の人間を死に追いやるほどの影響力を持つ「コンプレックス」とは、どこからやってくるのだろうか。

よく

「他人と自分を比べるからだ。」

 という人がいる。それは確かにそうなのかもしれない。ただ、コンプレックスとはもっと内発的なものなのではないだろうか。つまり、コンプレックスを抱く人間とは基本的に「プライドが高く」「自信過剰で」「能力が低い」という3つが当てはまる人間のことではないだろうか。そして、その3つの要素に生まれ持った元来の性格が影響を与えてくる。それがつまるところ、「上昇志向」の人間であるか、「厭世的」な人間であるか、だ。

 まず上昇志向の人間がコンプレックスを抱える場合、彼らは類い稀な能力を発揮するようになる。むしろ、彼らの場合、上昇志向であるがゆえのコンプレックスとも言える為、上昇志向の人間がコンプレックスを抱くのは普通のことであり、そうでない人間は上昇志向とは言えないはずである。彼らは常に自分自身を高めるために目標を高いところに設定する。その目標と現在の自身がいるところの乖離こそが、彼らのコンプレックスの原因である。「プライドが高く、自信過剰なため」目標を高く設定するのが、「能力が低く」最終的にコンプレックスを抱かざるを得ない。しかし、冒頭でも述べたように、彼らは上昇志向であるため、常に自らを高めようと努力をする。そして目標を達成した時にはまた新たな目標を設定する。そしてまたコンプレックスを抱えることになる。「馬鹿」に見えるかもしれないが、彼らは生涯コンプレックスを抱えながら生きる。が、それと同時に目標を達成するために生きているため、側からみれば充実した人生にも見える。以上のことから、「上昇志向人間型」コンプレックスは内発的なものであると言えるのではないだろうか。

 次に厭世的な人間が抱えるコンプレックスについて見ていくことにしよう。まず「厭世的」という概念を明確にしておくと、この記事では「人生に悲観し、世の中を嫌いになっているさま」という意味で使う。

 この類の人間がコンプレックスを抱く場合、いわゆる「メンヘラ」「いじめっ子」「その他、人に嫌われる」といった種類の人間が形成される傾向が強い。彼らは常に世の中や他人に悲観し、能動的に何かをすることはない。しかし「プライドが高く、自信過剰なため」そのような人々と自分が違っていることを示そうとする。が、「能力が低い」ために最終的には人に疎まれることになる。そうなった人間の最終形態が「自傷癖」を有する人間である。そもそもなぜ厭世的になるのか。それは人によってさまざまな原因があることが容易に推測できるため、一括りに断言することはできないが、控えめに言えば、「人を見下し」「自律心」がないからではないだろうか。以上のことから、「厭世的人間型」コンプレックスも内発的なものであると言えるのではないだろうか。少し根拠が薄い気もするが、コラムのためご容赦。



エネルギーの源

 コンプレックスを抱く人間の多くは「上昇志向型」か「厭世家」かの2種類に分類されることがわかった。ここでは、「コンプレックス」がいかに素晴らしいものかを述べていこう。まず、コンプレックスとは、自分を強くする為の世界最強の武器である。私の実体験からいえば、多くの同級生や先輩後輩に「高校を辞めた」と笑われたことは自分の中で強烈なコンプレックスを引き起こした。人に笑われたことがコンプレックスを引き起こしたのではなく、その事実が自分の「自尊心」を打ち砕いたからである。私は自分を笑った人間の誰よりも「高い学歴」を所有し、いつか街で会ったら「お前、どこの大学行ってんの?」と嫌味ったらしく言ってやろうと決意した。つまり、「コンプレックス」を「エネルギー」に変換したのだ。コンプレックスと共に生きていくのは辛いことである。私は述べろと言われれば数百のコンプレックスを瞬時にあげることができる。だから、私は強く生きている。全てのコンプレックスをエネルギーに変換し、むしろコンプレックスではなく、数百のエネルギーを抱えていると錯覚するまでに強く生きていきたいのだ。コンプレックスは、最強のエネルギーになる。思い悩み、泣き疲れた後は、コンプレックスというエネルギーを使って、全力で生きてみてはいかがでしょうか。