【フィリピン】戦前は日本よりも強かったとの噂があるスポーツとは?

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おはようございます!世界のみなさん!

セブ島の新聞セブデイリーニュースやサンスターセブを毎日チェックしているんですが、スポーツの話題といえばほとんどがバスケットボールです。たまにボクシングとサッカーがあるくらい。

野球経験者で現在は高校野球ファンの私からすれば、つまらない!

なぜフィリピン人は野球をやらないんだ!

そうなんです。セブ島へ来てから、空き地やどこでも野球をやっているフィリピン人を見たことが一度もないんです。バスケットボールはそこかしこで見かけますし、若いフィリピン人には何度かバスケットボールを一緒にやろうと誘われたこともありました。が、私はバスケットボールが大嫌いなんです。

なんかちまちましているし、非常にめんどくさそうじゃないですか。ずっと走り回ってるし。ルールも全く知らないので見ていても面白くないし。バーとかへ行っても放送されているのはバスケットボール。

野球を見せろよ!

 

そんな訳で、なぜフィリピンでは野球の人気がないのかを調べて参りました。なかなか興味深い歴史がそこにはあったんですよ!!

 

フィリピン野球史

まずフィリピンの野球史を紐解く上で重要になってくるのがアメリカです。米西戦争に勝利したアメリカが1898年にフィリピンを植民地化します。

この時にアメリカからコカコーラ、ジャンクフードなどが大量に持ち込まれたといいます。と同時にベースボールもフィリピンへ持ち込まれました。

それを裏付ける証拠として、マニラにある野球場が建設されたのが1934年でした。

ということで、フィリピン野球の歴史はかなり古いということが分かりますが、今となっては完全にバスケットボールが主流となっています。その理由は、やはり国が貧しいということも1つの理由だそうです。

野球をするためには最低でもグローブとバット、広い土地が必要になります。そして人数も9人、最低でも両チーム合わせて10人はいなければ試合にもなりません。その全員がグローブを持てる訳ではありません。

しかしバスケットボールの場合、ボールが1つとゴールに見立てた”何か”さえあればプレイできてしまいます。

野球が普及しなかった理由は貧困です。一方、バスケットボールは貧困層でも気軽に楽しめるスポーツとして人気になりました。

日本の昭和は特に裕福だったというイメージはないですが、ランニングシャツを着て近所の空き地で野球をする子供達を想像するのは容易です。

 

恐らくですが、バスケットボールも植民地時代にアメリカから持ち込まれたものでしょう。そう考えると、日本は植民地になったことがない国ですから、逆に野球以外のスポーツが普及しなかったのかもしれませんね。でもなぜ野球が普及したんだろう。と、気になる方はこちらwikipedia】(結局日本の野球もアメリカから輸入されたものだった。)



ベーブルースがプレイした球場がマニラにある

こちらがあの伝説のベーブルースがプレイした球場だそうです。1934年にマニラに造られたリザール・メモリアルスタジアムです。

ベーブルースって本名じゃないんですよね。ジョージ・ハーマン・ルースという名前だった気がします。実はベーブルースの伝記が好きで結構何度か繰り返し読んでいました。

ホームラン王ですからバッターというイメージを持っている方が多いのですが実は投手としてもかなり優秀だったんですよね。だから大谷翔平はベーブルースと言われているんです。

ちなみにベーブルースは元ヤンです。ガンジーも元ヤンです。

 

1954年には日本を下しアジアで初代王者に輝く

1954年に行われた第1回目のアジア選手権では、決勝で日本を下して初代王者に輝いたそうです。フィリピン野球は東南アジアどころかアジアでも屈指の伝統を誇っていたそうです。