フィリピン人が求める「I love you」に隠された意味とは?

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I love youってどういう意味?

セブ島に来てから何度「何言ってんの、お前」という意味で「what do you mean?」とフィリピン人に聞き返したことだろう。

私が日本人だからフィリピン人の言うことを理解出来ないのか、それとも「私」だから人間を理解出来ないのか。それは分からないが、少なくとも日本にいた頃よりも「どういう意味だ?」と考えさせられることがよーくある。

この前ナンパした女の子を口説いていた時のこと、

「あなたは私に真剣じゃないでしょ。」

と言われたのだが、私にはこの言葉の意味がさっぱり分からなかった。

「どうすれば真剣であることを証明できるんだ?」

と聞くと、「あなたは私に愛していると言えないわ。」と。

確かに。私は彼女に愛しているとは言えない。なぜなら愛していないのだから。

しかしその時に思ったことは、愛しているとさえ言えれば、仮に相手がそう思っていなくても真剣であると見なすのか?ということだった。それは、男に抱かれる言い訳が欲しいだけのような気も、一々相手の言葉を押し広げて考えることが面倒臭いだけのようにも思える。

だから私はこう言った。

「愛していない人に愛してると言うのは簡単だ。しかし私はあなたのことが好きだ。それだけではなぜ不十分なのだろう?嘘のI love youよりも本当のI like youの方が真剣だとは思わないか?」

私は賢くなかったようだ。もしあの場で「I love you」などと言うどうでもいい意味のない3語さえ言っていれば彼女を自分のものにすることが出来たのだろう。しかしながら、「wow」くらいの感覚で言えてしまう「I love you」になんの価値があるんだろう。

「愛してる」などと日本では言えないだろう多くの日本人が、セブ島ではいとも簡単に言っている姿をよおく見かける。それは愛していないからだろう。そして、言葉をただの言葉として扱う日本人と、言葉をそのままの意味として受け入れるフィリピン人の利害関係が発生する。

私には分からない。フィリピン人が日本人の「I love you」を「愛してる」と同じで意味で取っているのかは。もうこれは恋愛というよりはビジネスといった方が適当だろう。

フィリピン人との恋愛は難しい。言語の壁よりも複雑な利害という壁がある気がする。

ともすると、私がどれだけ真面目な人間かを証明できる。私は人に対して正直でありたいと願っている。嫌いな人には嫌いだと言いたいし、馬鹿な人には馬鹿だと言いたい。愛している人には愛していると、例えばそれが日本語であっても言いたいと思っている。なぜなら、我々は姿形がどれだけ似通っていたとて、中身は全くの別物だからだ。相手の考えていることなど私には分からない。私の考えていることも相手には分からない。ただ言葉は言葉だ。それは道具であり、相手の本当ではない。結局のところ、1人の人間をよく理解するには長い時間をかけてその人の行動を注意深く見なければいけないと考えている。初めて会った人のことを形容することほど愚かなことはない。確かに、頭いいなこの人。とか、この人はもう会いたくない。などと思うことはあるが、その人がどういった人間であるのかは分かりかねる。わかった気になることは簡単だが、意味がない。

ただ、もう会いたくないと思うひとは所詮自分にとってはそれまでの人間ということだ。私も多くの人に「もう会いたくない」と思われていることだろう。特に不思議なことでも、ショックなことでもないと考えている。自分にはその人を魅了する能力がなかったということで、PDCAを回していけばいい。しかしながら、自分にも自分が狙うターゲットが存在している。そこに当たれば問題はないのではないかとも考える。と、考えれば考えるほど人間関係とは所詮利害関係のことであり、ビジネスだ。友達とはビジネスであり、恋人もビジネスである。自分が手にする利益が金であるか、別のものであるかの違いであって、本質的にはなんの差異もないのだ。

こういうことを言っていると冷たい人間だと言われるのだが、惰性で生きることに何の価値があるのだろう。何の価値を生み出すというのか。

 

フィリピン人女性との会話をここまで敷衍させる私の頭は完全に左脳が肥大しており、実は典型的な日本人であるということがよく分かる。人間は考える葦である。フィリピン人がどんなマインドで生きていようと、私は考える葦でありたいと願う。右脳と左脳の話

 

フィリピン人マネジメントの話

私はフィリピン人と待ち合わせをするときには必ず、私がその場所に行く1時間前を指定する。理由は簡単で、基本的に彼らは何の悪気もなく遅刻するからだ。遅刻というのかも分からない。遅れてきて悪気もなく「Hi」というフィリピン人も多い。

正直、「Hi」という言葉を自分は間違えて理解しているのだろうか。と思ったことは一度や二度ではきかない。つまり、「Hi」とは「ごめんなさい」という意味なのだろうか。と勘繰っていたのだ。が、もちろんそんな意味はない。

「渋滞が。」

「ちょっと体調が。」

なるほど。確かにセブ島の渋滞はひどいのはよく知っている。ただ何回この場所でこの時間に会っても毎回遅れてくるのはなぜなのだろう?セブ島に住む人は毎日変わっているのだろうか。それなら仕方がない。日曜と月曜の山手線の混み具合が違うのと同じことだろう。ただ平日じゃん。渋滞の中にいるのってみんなほぼ毎日同じ人じゃん。だったらどれくらい混むか分かるじゃん。

と、イラついてしまうものだが、セブ島の語学学校を経営する社長から即効性のあるフィリピン人の遅刻を許容するマインドセットを教わった。

日本人はフィリピン人に対してイラつくが、宇宙人も日本人に対してイラつく。待ち合わせ場所にしたって、日本人はコンビニの前というが、宇宙人にしてみれば北緯が何度かも南緯が何度かも分からないし、待ち合わせ時間が8:00じゃ曖昧すぎる。日本人が絶対だと思っている情報は宇宙人からすればかなり曖昧でてきとうなものなのかもしれない。ただ、これに対して日本人は「宇宙人何言ってんだよ、ばかじゃねえの」と思うだろうが、フィリピン人も日本人に対して同じことを思っている。

「なるほど。」と思った。

何が正しいのかは誰にも分からない。世界は完全に不完全であって、進化も後退もどっちかもわからい。正直、人間が人間かも分からない。それでもやはり人間は今日も人間として生活をし、更には日本人という特殊なコミュニティに属し、特殊な観念を信仰している。スケールの大きな話をすると嘲笑する人は多いが、私は、自分は世界の99.9%以上の物事を知らないと考えている。知りたいと願い、知ろうとしても知り得ないことの方が多い。フィリピン人のことなど知れるはずがない。

フィリピン人が考えていることなど理解できるはずがない。だから分かった気になって生きていくのが一番で、知った気になって生きていくのが一番楽だ。

 

いくら分かった気になって生きていきたくないと願っても、私は結局分かった気になって生きていくのだろう。人間だもの。

まとめ