【前略フィリピン人】シングルマザーが多い理由はカトリックではない訳で

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マアヨン〜!

セブ島の和久井港(@misanwakui)です。

以前から気になっていたことですが、セブ島にはかなりの数のシングルマザーが存在しています。最近知り合った某ラーメン屋で働いている女性は17歳で1人目、20歳で2人目を妊娠しています。

特にそのことについては何も思わないのですが、実はその2人の子供の父親は同じ人だということです。これはびっくりしました。2人の子供がいて結婚していない理由を聞いたところ、彼女の母親がその男のことが嫌いだったからだそうです。

「え・・・?」

という感じじゃないですか?母親に言われて別れるのってそのタイミングですか?という感じですし、1人目の時は嫌われていなかったのか?いや、詳しいことはよくわかりませんが、そういった謎の理由でシングルマザーになる女性も存在しています。

母親に否定されたくらいで別れる相手と子供2人作るか?とも思うんですが・・・

そんな訳で今回はシングルマザーが多い理由としてよく挙げられている「カトリックだから」というその理由について考えてみました。

もくじ

  • 性の喜びを知りやがって
  • 結婚の目的は性の喜び
  • 避妊は認められていない
  • 受精の瞬間に人権が認められる
  • フィリピン的カトリックとは?



性の喜びを知りやがって

Sexuality is a source of joy and pleasure.[2362]

カトリック教会のカテキズムにはこのように書いてあります。要するに「性とは、喜びの源である。」ということだそうです。

このpleasureをどう訳すのかは知りませんが、喜びの他に「快楽」という意味もあります。

つまるところ、カトリックでは「性」によって喜びを得ることを全面的に認めているということです。これはありがたいことですね。フィリピン人も安心するのではないでしょうか。

しかしながら、当然とりあえず喜び、快楽、満足のために「性」に勤しむ(精を出す)ことを推奨している訳ではありません。

「性」を楽しむためにはいくつかの条件があります。それを次のセクションで見ていきましょう。



結婚の目的は性の喜び

  Sexuality is ordered to the conjugal love of man and woman. [2360]

まず「性は喜びの根源である」という文言はこれを前提としています。これは要するに、男性、女性の差異、つまり「性」は夫婦間の愛のために存在しているということです。

さらにこの後には「性は人間らしく、品位のある行為である」的なことも書かれておるそうです。ただし、夫婦間に限るということです。

まず前提として、夫婦であること。その上での「性」は神が望んで人間がそうなるように仕向けた訳だからそれ自体は何も悪いことじゃないよ。ということです。

The Creator himself . . . established that in the [generative] function, spouses should experience pleasure and enjoyment of body and spirit. Therefore, the spouses do nothing evil in seeking this pleasure and enjoyment. They accept what the Creator has intended for them. At the same time, spouses should know how to keep themselves within the limits of just moderation. [2362]

The spouses’ union achieves the twofold end of marriage: the good of the spouses themselves and the transmission of life. These two meanings or values of marriage cannot be separated without altering the couple’s spiritual life and compromising the goods of marriage and the future of the family.

   The conjugal love of man and woman thus stands under the twofold obligation of fidelity and fecundity. [2363]

で、こう続く訳ですが、これはつまり、結婚の目的は「子孫を残すこと」と「夫婦の幸せを追求すること」と言っております。

つまり、結婚の目的の1つは「子孫を残すこと」、すなわち「性の喜びを知ること」ということになります。この辺りから段々と気が付いてくるのですが、これを文面通りに素直に受け取るとするならば、性の喜びを知るためにはまず結婚をするしかなく、さらには結婚をして性の喜びを知ってしまった場合には、子孫を残さなければならないということですよね。

カトリック教会のカテキズムを読んでいると、シングルマザーが存在する意味がよくわからなくなってきませんか?だってそもそも「性の喜び」は夫婦の幸せや愛の追求のためにあるものとされている訳ですよね。シングルマザーってそれはつまり、結婚もしておらず、愛の追求でもないそれ以外の目的で「性の喜び」を知ってしまっているということではないですか。

私は無宗教なので別にどうでもいいんですけど、「フィリピン人、あれ?」って思う部分は多々あります。



避妊は禁止されている

A particular aspect of this responsibility concerns the regulation of procreation. For just reasons, spouses may wish to space the births of their children. It is their duty to make certain that their desire is not motivated by selfishness but is in conformity with the generosity appropriate to responsible parenthood. Moreover, they should conform their behavior to the objective criteria of morality.[2368]

利己主義的な避妊は禁止されていますが、いわゆる安全日などを狙った避妊は認められているということです。つまり、親として「責任ある出産調整」が認められているということです。

なんでしょうね、「今日は安全日だから大丈夫だよ」的なやつですかね。

「え、大丈夫って言ったじゃん!」みたいにならなければいいですよね〜。みたいな感じでしょうかね、まあよくわかりませんが。

とりあえず、カトリックとしては人間が人間の意志や利己的な都合によって避妊をするということは神が与えた「性の喜び」ないしは「夫婦の愛の追求」を否定するというか、神そのものを否定するということになりかねないというのと、それは性の品位を下げることであるという風に言っておられるそうです。

自然妊娠、自然避妊ということは認められているそうです。

ただまあ、女性なら必ずしも全員が出産できる身体であるとは限らない訳ですよね。その辺のリスペクトはどこいったん?とは思いますけどね。

受精の瞬間に人権が認められる

Human life must be respected and protected absolutely from the moment of conception. From the first moment of his existence, a human being must be recognized as having the rights of a person – among which is the inviolable right of every innocent being to life.[2270]

人権が認められているのなら、出産の前に「生まれたいか生まれたくないか」を聞いてあげるべきだとは思いますけどね。これを小説にした芥川龍之介という作家は当時文学界で炎上したそうですけど、いや芥川龍之介は正しいと思いますよね。

受精した瞬間にそれを人間と見なすのであればなぜ本人の意志は尊重せずとりあえず産もうという判断になるのかが分からないです。これは生まれる国や環境によっても変わりますが、生まれなければ感じずに済んだ苦しみや悲しみなどがある訳ですよね。

私や多くの日本人は、それでも生まれてきたことの喜びを感じることができている訳ですが、それって本当に全員に当てはまるの?とは思いませんか?

だって虐待されて5歳で亡くなる子供だって日本にもいる訳ですよね。それって生まれてきた方が辛かったんじゃないの?とか思いませんか。子供で銃を持たされたり、食べるものが無くて飢えて死んでしまったり、それって本当に「生んでくれてありがとう」になるんですかね。



フィリピン的カトリックとは?

フィリピン人と交流をもつようになって思ったことは、フィリピンではフィリピン独自のカトリックに対する考え方が存在しているんだなということです。

つまり、夫婦や結婚という前提を吹っ飛ばして

  • 性は喜びの根源である(神が与えてくださった品位ある行為)
  • 受精の瞬間に人権が認められる(そもそも夫婦ではないけど)

という感じではないかなと思います。

シングルマザーが多い理由を「カトリックだから」とするのには無理があります。先祖代々なのかは知りませんが、何も理解していないなら何に祈りを捧げているんですかね。食事の前に祈りを捧げるよりもまずはカテキズムを読んでみてはいかがでしょうか。

 

怱々