セブ島に来てから自分変わったなあと思う4つのこと

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こんばんは!世界のみなさん!

素敵な日曜日をお過ごしでしょうか?私は柄でもなく部屋掃除などをしておりました。

元来アレルギーを持っているので掃除をすると体調が悪くなるのですが、誰も部屋掃除をしてくれないので仕方なしにやっております。

私、唐仁田 郁夫(カラニダ イクオ)はテレビのニュースを見て涙を流すくらい感受性が豊かな少年でありました。よく言えばかなり優しい心の持ち主、悪く言えばかなりひ弱な男でありました。

そんな唐仁田 郁夫(カラニダ イクオ)がセブ島へ来て「俺変わったなあ」と思う4つのことをお話します。

これは特に自己紹介という意味ではなく、セブ島のみならず1人で海外へ行くことのメリットについてのお話です。海外生活に興味のある方はぜひ参考にしてみてください。

 

 

1.全て自分の甘えだと思う

まず1つ目。セブ島へ来てから4ヶ月ですが、現地に住むフィリピン人はかなり貧しいです。当然大学を出て有名な外資系企業に就職するようなフィリピン人もいます。私が知り合うようなフィリピン人はこっちのタイプが多いです。つまり、割とお金を持っているフィリピン人。

ただ、街を歩いているとそうではない現実をよく目にします。小学生にもならないくらいの子供が路上で煙草を販売していたり、マクドナルドで食事をしていると「Sir」と言いながら手を差し出してくる子供。人々がゴミを捨てるような場所で遊ぶ兄弟など。

きっとそんな風になりたくてなった訳ではないんだろうな。と感じるフィリピン人の子供がいたるところにおります。そういった子供が年を取るにつれて悪いことでお金を稼ぐようになっていくんだろうな。と。

だからスリとか違法薬物の売買って確かに身近で起こっていたら嫌だし巻き込まれたくはないんだけど、仕方ないと言わざるを得ない状況なんだろう。というリアリティを感じます。

こうなると誰が悪いコレが悪いアレが悪いという不毛な話をし出す人がいますが、長年に渡ってそんな議論が繰り広げられてきても現状がこれですから、机上の空論とは素晴らしい言葉だなと古代の人間に感心さえしてしまいます。

そんな中で生活をしていて、自分は望まなくても学校に通うことができていたし、ちょっと焦げただけの魚をまずいと言って食べなかったり。そんな恵まれた環境で生まれて育って、何がないアレがないコレがない。という不平不満って実は全部自分の責任なんじゃないか。と思うようになりました。

子供の頃は正直、自分が何かできない、何か持っていないということを全て周囲の所為にしていました。ただセブ島でこのような現実を見ていると、自分が頑張っていないだけだと自然と思うようになってくるのです。人間て不思議ですよね。

倫理や道徳という授業が自分の小学校にはありました。フィリピンにもそういった類の授業が必要だと思う一方、そもそも犯罪でお金を稼ぐような子供は学校にすら通えないから、結局無駄だ。とも思います。

じゃあ何ができるのかと言えば、特に何も出来ないと思います。お金を配ったってそれを教育に使わずに食べ物を買うのに使うはずだし、食べ物を配ったところで、彼らが我々に感謝して恩返しの為に何かするということも正直ないと思います。一時的に満たされたところで、「明日からはまた地を這いずり回って生きていかなければ」という恐怖が残るだけです。

助けを必要としている人が目の前にいて、それでも何も出来ないということはひどくもどかしいものです。だから私は今、世界でこんな子供がたくさんいるのは自分(唐仁田 郁夫(カラニダ イクオ))の所為だと考えています。自分が絶対的貧困層の生活レベルの底上げをしないからみんなが苦しんでいる。そう考えています。人を救いたいではなく、自分の所為で人が苦しんでいる、という考え方に変わりました。



2.はっきりと意見を言う

2つ目ははっきりと意見を言うようになりました。

理由は簡単で、フィリピン人は意見を言わないと全く気付いてくれないからです。というか、意見を言わないのに自分が考えていることを分かって欲しいというのは辟易とするくらい気持ちの悪い考え方です。

日本では雰囲気が大切にされていて、特に思ったことを口に出さなくてもなんとなく伝わる風習があるのですが、結構それは特殊なことだと思っていて、それを悪いという訳ではないのですが、ミスアンダースタンドを減らす為にも自分の意見って100%伝えないとダメだなと考えるようになりました。

何も言わずに、何か不都合が起きてから「なんでそんなことをしたんだ」みたいなロクでもないクソ教師が日本にはいたと記憶していますが、分かる訳がないでしょう。自主性を重んじることは大切ですよ。自分で考えて行動する。そこに重きを置くのなら、多少の失敗くらい許容しろよと思うんです。

とりあえず不都合は全部自分の所為ですし、言ったら分かるだろうという考え方もかなり驕りだと思います。伝えたって分からない人には分からないので、その場合は切り捨てるか極限まで優しくするかの二択です。

「さっき言ったよね!」

という言葉、昔よく聞きました。さっき言ったのはお前だけど理解するのはこちらでこちらが理解していないならその「発言」にはなんの意味もないんですけど。とか思ってましたけど。フィリピンにいるとそう強く感じます。自分が言うことには意味はなく、自分がして欲しい行動を相手に促してやっと発言に効力が出てくるというか、そんな感じです。

 

よし、許そう!

3つ目はこれです。とりあえず全部許そう!と最近思っています。

言っても仕方ないし、行動をさせることが出来なかった自分のマネジメントにも落ち度はある。だから許そう!ということもありますし、セブンイレブンに並んでいても1人の客に多大な時間を要するなんてことは日常茶飯事で、

「なんでお前らが無能なせいで俺の限られた人生の時間を奪取されないといけないんだ」

と考えることはほぼ毎日あります。お前なんか何も生産してないんだから俺のあとでやれクソ野郎とも正直思っています。

ただすベて許すんです。なぜなら、セブンイレブンで買い物をしたいのは自分でそこのセブンイレブンの店員が無能だったのは仕方がないことだと。全てを許すようになりました。

そうは言っても、その間に自分の寿命が減っているのも事実なので大体毎回店を出ます。怒っている訳ではなく、自分の寿命を無駄にはしたくないという思いと、店員が無能?うん、許そう。という考え方です。



自分の存在価値について

最後です。セブ島に来てから、自分の存在価値についてよく考えています。

結局のところ自分が死んだところで困る人間は1人もいない訳で、現状では自分が存在している価値は皆無だと考えています。自分が死んでも家族が悲しむだけで、特に生活が出来なくなる人が増えるといったこともないですし、後追い自殺をするような人もいないです。

経営者がすごいクリーンなことをいっていると「胡散臭い」「嘘だ」という人がよくいます。

人に感謝されるような生き方をしたいとか、人を幸せにしたいとか、ああいった発言をする人ってあながち嘘ではないと思います。

逆に言えば、そういう発言を真摯に受け止められない人は自分の存在価値を過剰評価していると思います。彼らがその発言に至った理由としては、多分ですが、それくらいのことを実現しないと自分という人間には価値がないと思い込んでいるからだと思うんです。

知りませんよ。会って話をした訳ではないので。ただ、そういった人たちに共通していることは世界の広さを知っているということです。世界が広くて、世界にはもっとすごい人がいて、という現実を目の当たりにすると自分がかなり無能な人間に見えてきます。

よく学校やエージェントが言っているような楽しい留学とは異なりますが、自戒という意味を込めて留学するのもありかもしれないですね。

何もやっていない人ほど自分を過信しています。そんな人々の言うことは誰も聞かないです。

 

ということで全体的に「思う」が多い当記事になりましたが、本当に思うことが多い海外生活ですから、皆さんもぜひその目で世界を見てみることをおすすめいたします。