2018年なのに、なぜフィリピン人はまだ手で食事をするのか。

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  • 先に断っておかなければいけないことあります。今回の記事は、差別を示唆するものではありません。
    文化の違いについてを、歴史的背景から洞察する記事です。あらかじめご了承ください。

 

フィリピン、セブ島も日本と同じく2018年です。多少のギャップはあるものの、ITパーク周辺やショッピングモールの近くには、ナイフとフォークを使って食事をするレストランは多くあります。一方で、2018年になっても尚、手で食事をする文化も当たり前として残っています。

私がプレートミールを注文すると、ビニールの手袋を渡されました。つまり、『手で掴んで食べてください。』という意味です。私が頼んだプレートミールは、ご飯とポークリブととうもろこしのプレートです。とうもろこしはさておき、ご飯とポークリブに関しては手で食べるよりナイフとフォークを使って食べる方が慣れています。

多少の戸惑いは感じながらも、おそらくは物心がついてから初めてご飯を手で掴みながら食べました。おにぎりや寿司とはわけが違います。普段なら箸かフォークを使って食べるあのライスです。

それを手で掴んで食べるということに、なにか羞恥心を感じ、お腹よりも胸が先にいっぱいになってしまい、結局プレートは残してしまいました。私にとって手掴みでご飯を食べるという行為は、恥辱でありました。



手食文化とは、人が食事を摂る際に、手を使用して食べ物を口に運ぶ食文化を指します。現代では、アフリカ、中近東、インド、東南アジア、オセアニアなどを中心に、世界の約44%の人が主に手で直接ものを掴んで食事を行っています。

その源流は、イスラムの手食文化であるとする説があります。イスラムでは銅製の大きな盆が食卓として使用され、絨毯を敷いた床上や低い台の上に置かれています。人々はその盆を囲んで座り、右手の親指、人差し指、中指を使用して食事を行います。

中学生の頃に、インド人の子供を左手で撫でるとものすごい嫌われるという話を聞いたことがあります。『不浄の手』という言葉を聞いたことがある人は多いのではないかと思います。インドでは食事の他にも、用を足す時も左手で直に拭くと言われています。

ここで気になるのが、インドといえばカレーですよね。カレーといえば、ナンではないですか。そのナンは右手だけで食べるのは難しくないのか?ということです。

インド人はナンをちぎる時も右手しか使わないそうです。彼らの意味する『不浄の手』とは意味が異なりますが、自分の右手が大便をしたお尻を拭いたままだったら、さすがにそんな手は使いたくないですよね。

 



わかった、わかった。でもフィリピンって、インドとかネパールとかイスラムとは関係ないんじゃないのか?

そうなんですよね。だから余計に気になる部分ではありました。が、以前セブルートに投稿したフィリピンの歴史(こちら)を見るとわかります。

 

フィリピンはスペインに支配されるよりもっと前の時代に、イスラーム教が普及(布教)して(されて)いるんです。ここでまずひとつ、つながりました。フィリピンにもイスラムの文化が入っていたということです。

ちなみにもう少し追加しておくと、インド文化はイスラムの前に到達しています。

 

そしてその後、フィリピンはスペインに約250年支配されるわけです。でもスペインってナイフとフォークを使う文化じゃないのか?

と思ったあなたは賢い人です。

そうです。スペインはナイフとフォークの国です。スプーンも当然使います。ではなぜそんなにも長い間植民地にされていたのに、フィリピンだけ手食文化なんだよ!

 

ヨーロッパも手食文化だったから?

実はヨーロッパにおいても近世までは手食による食事が主流でした。例えば、16世紀に来日したイエズス会の宣教師であるルイス・フロイスは、著書『日欧文化比較』において、日本では箸を使う一方で、ヨーロッパでは手食する、と述べています。

17世紀末のパスタの流行によって四本歯のフォークが発明されると、これを使用した食事作法が上流階級に浸透して一般化していくととともに手食による食事作法は消えていったそうです。

現代でもパンやサンドイッチを手で食べますが、それはて食文化の名残だということです。

16世紀~19世紀末はフィリピンは完全に植民地となっていました。奴隷のように扱われていた彼らがフォークを使った食事作法など許されるはずがなかったことは容易に想像できます。

 

スペインとアメリカ

ちなみにフィリピンは、スペインの次はアメリカの植民地となっていました。

ずっと植民地です。

ナイフとフォークを使って食事をする身分ではないと扱われていたのだと思います。

そのあとになんやかんやあって、フィリピンは今度は日本の植民地となります。

それでなんやかんやあって、1946年、つまり第二次世界大戦のあとになってやっとフィリピンは独立の道をあゆみ始めるわけです。フィリピンは、第二次世界大戦においてただ巻き込まれただけです。日本とアメリカとその他諸々の国の戦争にかなり巻き込まれていました。

なので食事作法云々という文化が根付かなかったわけです。

 

と、ここまで読んでいただいた方はもう理解できたと思います。

「2018年なのに、なぜフィリピンは手で食事をするのか。」

ものすごく簡単にいえば、それはずーっと植民地だったからです。

 



なぜ日本はずっと箸文化なのか。

答えは簡単で、一度も植民地になったことがないからです。昔歴史の教科書で習いましたよね。モンゴルが侵攻(蒙古襲来)してきたとか、李氏朝鮮が侵攻してきたとか。

日本は神風とかなんとか、毎回撃退してしまっていたんですね。だから日本がこれまでに負けた国はアメリカくらいなもので、アメリカに憧れている日本人が多いのは『ギブミーチョコレート』の名残かっていう話なんですが。

 

最近ではフィリピン人でも箸を使える人が多くなっています。日本とは直接の関係はなく、韓国文化が好きだからという理由で箸を使う人が主のようです。まあ韓国もその昔は、、、という政治絡みの話は面倒くさいのでやめにします。

 

 

いや、なぜ寿司は手で食べるのか。

 

江戸から明治にかけてのすしは、屋台が中心で、現在のように店を構えるようになったのは、もっと後のことです。

桶にすしダネを入れて、かついで町の中で売り歩く『すし売り』という商売もありました。

冷蔵庫の無い時代のことなので、ほとんどのすしダネは、酢に漬けたり、
煮たり、しょう油に漬けたりと手が加えられていました。

これが、今も伝わる酢じめをした光りものや煮イカや煮ハマグリ、またはマグロのしょう油ずけの原型です。
すし屋の調理場がつけ場と云われるのは、このように醤油に漬けたり、酢に漬けたりする仕事が中心だったことの名残です。

 

もともと屋台で売っていたものだったので、今のように割り箸もなく、手で食べるしかなかったということだそうです。



 

フィリピン人よ

もう独立したので、手食ではなく、ナイフとフォークでお願いします。