変態手帳「抽象像が酷似する2つの心」
茨城県龍ケ崎市の夜は非常にうるさい。「五月蝿い」とはうまくその様を表現したものだと、古代の日本人に感心せざるを得ない。というのも、(旧暦)五月に人界をさまようハエのようなバイクのエンジン音が、この街では未だに鳴り響いているのだ。見慣れた光景に、ヤンキーとはこういうものだと思ってこれまで生きてきた。
しかし、セブ島でその価値観は崩壊する。
それは、本当に金がなく、その日を生き延びる為に外国人を襲い、どんな手を使ってでも命を繋ぎとめようとするフィリピン人を見たときだ。茨城県にいるヤンキーとは、ただ周りの一般人と同じに見られたくない、いわゆるファッションヤンキーなのだと悟った。いわば、彼らは「かわいい」原宿でも「おしゃれ」恵比寿でもなく、茨城の一部で独特の「ヤンキー」というファッション文化を築き、継承しているのだ。
そして、彼らの振る舞いの本質と重なって見えたのが、意識高い系大学生である。彼らは同期やそのほかの学生と同じ「学生」として扱われることを嫌い、独特な言葉の言い回しや振る舞いを小さなコミュニティの中で築き、継承している。
自らを特別な存在と信じるも、小さなコミュニティの中ではみな同じ見た目や振る舞いをしていることに気付いていない。彼らの根本は、「孤独に耐え得る心臓は備えていないが、唯一無二の存在でありたい。」と願う点において同じなのである。