【文化の違い?】フィリピン人が見習うべき日本人の習性2選

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こんにちは!マイクデイビスです!

私が日本にいた頃、よくこんなことを言う日本人を見かけました。

「だから日本はだめなんだよなあ・・・」

その人が何年海外に住んだことがあるのかは分かりません。それに、確かに日本のこういうところは良くないよね。と思ったことは何度かありました。

例えば、日本人は自分が赤だと思っても周りの10人が青だと言えば、自分も青だと言う。

これは典型的な日本人ではないでしょうか?もしかしたら、あなたも今、「私のことだ。」と思ったかもしれません。しかしながら、実はこれって日本だけではないんです。

例えばセルビアの方に聞いた話だと、服を選ぶ時はみんな周りに合わせる。と言っていましたし、ロシアでは結婚をする年齢やタイミングなども周りの様子をみつつするようにする人が多いそうです。

このような同調圧力的慣習は、日本以外の国でもありますし、Peer Groupという表現も英語にはあります。あとはその度合いが違う程度で、日本は特にそれが顕著であるというだけのことです。

文化や国民の性質を国家単位で変えることは辮髪令でもしない限り無理ですし、日本が、日本人のその部分が変わることは今後もあり得ないと思います。なぜか。それは、「みんなが変わろうとしないから」自分も変える必要がないと皆が思っているからです。

ただ、日本には日本の素晴らしさがあります。

みんなが真面目に働くから、みんな真面目に働きますし、みんながすぐに謝るから、みんなすぐに謝ります。

主体性の欠如と同調圧力によって、日本では規律が守られ、礼儀正しい国として世界的に有名です。

この理由の部分には賛否があります。ただ、フィリピンにいると、これが素晴らしい文化であると感じざるを得ません。

そんなわけで、これから国が発展する中で、フィリピン人に少しでも見習って欲しい、取り入れて欲しい日本の素晴らしい習性をまとめてみました。



目次

  • すみません、すみません。
  • あったか〜い心

 

 

すみません、すみません。

 

 

フィリピン人が、電話越しで「すみません、すみません。」と言っている日本人の真似をする光景をよく見かけます。

日本人は、ありがとうと言うべき場面でもすみませんと言います。

「すみません」には色々な意味が含まれていると思います。例えば、本当にすまないことをした時に使う「すみません」には謝罪の意味があり、物を取ってもらった時の「すみません」には感謝の意味があります。

ほぼ同義の「すいません」を使う場面も多くあります。店員さんを呼ぶ時、「煙草を吸いますか?」と聞かれた時、人混みを通り抜ける時など。

日本人といえば常に誰かに頭を下げているイメージを持っている外国人は多いと思います。

しかしあまり外国人に理解されていない点ですが、頭を下げるという行為が必ずしも屈服を意味する訳ではないということです。フィリピン人は基本的に謝りません。

遅刻してきた場合、まず「because」と言います。まず理由を述べて、その上で自分は悪くないことをアピールします。ただそれらは全て苦し紛れの言い訳です。日本人のように主張がある場合でもまずは自分の非を認めるという感覚がありません。一度でも非を認めればそれで終わりという考え方の方が多いです。

ただ悲しいことに、実際、言い訳をしたとてもう終わっています。becauseその理由が正当なものである確率はほぼ0%に近いからです。大体が私情または私用であり、「あなたの都合であって、私の都合ではない。」と言い返したくなるケースが非常に多いです。

私はここに日本人の寛容力を見出します。寛容力という言葉が正しいのかはわかりませんが、意味はそのままで、相手を寛容する能力が非常に長けているという意味です。

仮にあなたがすまないことをしても、日本人はあなたの誠実な謝罪を受け入れ、その後で「何かあったの?」と聞く人が多いですよね。当然、言い訳は認めない。という人もいますし、言い訳が認められるべきではない場面もあります。

ただ多くの場合は、謝罪は受け入れられます。謝罪を受け入れる。言い換えれば、相手を許すということです。

ガンジーはこんなことを言っていました。

弱い人間は決して許すことができない。許すということは、強い人間であることの象徴なのです。

 

ガンジーは射殺されていますが、その際、自分を撃った相手に対して「あなたを許す」というポーズを取って亡くなったそうです。日本人がガンジーほど寛容かは知りません。ただ、日本人が謝罪に対して寛容であることは間違いないと思います。

それは同時に、自分の怒りよりもまずは相手の誠意を受け入れて、それでいてかつ相手に次のチャンスを与えるということです。日本人は常に誰かに頭を下げているかもしれません。ただ、頭を下げることが出来るのも、それを受け入れることが出来るのも、精神的に自立しており、相手に過度の依存をしておらず、また過度な期待をしておらず、互いが相手を1人の人として、敬意を持って接しているということに他なりません。

 

「すみません。」が言える文化を、国が発展する中で育んでいって欲しいと思います。

 

 

 

あったか〜い心

 

 

「フィリピンは治安が悪いとして有名だが、実はホスピタリティに溢れていて、フレンドリーな人が多い!!」

という文言を見たことは一度や二度ではありません。

日本人にとってあまり馴染みのない「ホスピタリティ」や「フレンドリー」という曖昧な表現は、照れ屋で人見知りが多い日本人にとってはものすごくいい響きなのかもしれません。

確かに、フィリピン人はフレンドリーですし、ホスピタリティに溢れる方は非常に多いです。

しかし、それらの点だけを取って「日本は冷たい国だ。」というのも如何なものかと思います。

「フィリピン人はホスピタリティに溢れていて、フレンドリーだ。」という文言は、大体が「それに比べて日本人は冷たい。」とセットで使われています。

果たして本当にそうなのでしょうか。

私は大学生の頃に「おもてなし」と「ホスピタリティ」の違いについて研究していた時期がありました。

感覚的にですが、おもてなしは、旅館の女将です。

お客様に不快感は一切感じさせず、準備に多大な労力を費やします。用意周到。完璧な状態でお客様を迎え入れ、完璧な状態でお客様を見送ります。

これもまた感覚的にですが、ホスピタリティは、「田舎に泊まろう。」です。

準備をしていた訳じゃないから気の利いたことは何もできない。ただ、できることはしてあげよう。例えばそれが寒い地域だったら、温かいお風呂に浸からせてあげよう。布団で寝かせてあげよう。味噌汁を作ってあげよう。

恋愛で例えるのなら、「おもてなし」は、恋人の誕生日までに数十万円貯めて豪華な食事をして豪華なホテルに泊まってティファニーのネックレスをプレゼントしよう。というイメージでして、「ホスピタリティ」は、お金がないから想いを込めた手紙を書いて、手作りのクッキーを作ろう。というイメージです。

 

どちらも素晴らしいと思います。ただフィリピン人を「おもてなし精神」ではなく「ホスピタリティ」と形容するところに真実が現れています。というのも、例えば語学学校が日本人向けに広告を打つ場合、別にわざわざ分かりづらい「ホスピタリティ」を使わずに「おもてなし」という馴染み深い言葉を使えばいいからです。そうして、「おもてなし」という言葉を使えない理由は、フィリピン人におもてなしの精神がないからです。

 

それがあったか〜い心か?

と思う方もいるでしょう。例えば私がこの文章を読んで、ここで終わっていたら不満を感じます。

おもてなし=心があったかいは、あまりにも論理の飛躍である、と。

なのでもう少しだけお付き合いください。あと少し押し広げます。

話題は少し変わりますが、そもそも、フレンドリーとはなんでしょうか。ノリがいいことですか?

それなら確かにフィリピン人はものすごくノリがいいです。ただ、日本人が求めているのは、もっと粘着質な関係だと思うのは私だけでしょうか。

日本人は小さなコミュニティを作り、その中で盛り上がるのがとても好きですよね。

多くの方にそのような習性が見られると思います。大人でもそれはそうです。◯◯会という芸人の集まりがあるというのは有名ですし、或いは、経営者同士が集まる謎の会合もよく開かれています。

そのように、粘着質な関係性を相手に求める日本人にとって、ノリが良いだけの人というのは、果たして本当に価値のある友達なのでしょうか。私はこう思います。短期的に、どうしても会わなければならない相手なら、ノリが良い方が良い。なぜなら、終わりが見えているから本当のことを言う必要がない。それはある意味では、本音で話さなければいけない相手よりも気が楽なのかもしれません。

不倫相手がそれです。子供の将来の話も、ローンも、給料についても、親のことも、何も話す必要はありません。話すことは、表層的な仕事の愚痴や、使い回された価値の薄い口説き文句だけで済みます。だから楽です。楽だからたまに会いたくなります。

フレンドリーとは、そのことではないでしょうか。お互いに、思ってもいないことでも言い合える仲だから一緒にいて疲れない。

フレンドリーな人が多いということは、相手に”本当”を求めている人が少ない。

真剣に向き合う気はない。

屈折したものの見方かもしれません。ただ、その関係において自分は一切の責任を負っていない状態だということです。日本人の粘着質な関係性は、時にはリスクを背負いますし、責任を負わなければならないこともあります。

対日本人だからノリがいいのかもしれません。留学生が帰ることは最初からわかっていることだから、とりあえずノリよく接していれば良いか。と。

ここでまたおもてなしの話に戻りますが、日本人が留学生を迎え入れる時に、果たしてそのように考えるでしょうか。

私なら考えません。触れてはいけない所には触れない。だけど相手の”本当”は知りたい。なぜなら、留学が終わったから「ハイ、オワリ。」ではなく、それが終わってからも付き合っていきたいから。せっかく出会ったわけですし。

日本人なら多くの方がそう思うはずです。

果たして日本は本当に冷たい国でしょうか。私はそうは思いません。

むしろ、相手との長期的な関係構築を意識する、あったか〜い心の人が多い国だと思います。

 

 

以上が、私が思うフィリピンでも取り入れて欲しい文化や習性です。