STUDY!今更フィリピンという国の歴史を学んでみた

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はい、どーもー。世界の唐仁田 郁夫(カラニダ イクオ)です。

ということで今回は珍しく真面目な記事を書こうと思います。フィリピンという国の歴史から現代のこの国を読み解く。全ては無理でも歴史から受け継がれた慣習や習わしがあると思うので、それによって彼らを理解しようという試みです。

 尚、序盤はほとんどウィキペディアからの引用となります。唐仁田 郁夫(カラニダ イクオ)の独特な見解だけでいいよ。という方は一度広告をクリックしたのちに下の方へスクロールしてください。 



先史時代

タガログ人の男女

フィリピンの歴史は多様な民族によって織りなされてきた。フィリピン諸島で最も古い民族は25,000~30,000年前に移住してきたネグリト族。次に新石器文化を持った原始マレー。この後が、棚田水田農耕を持った古マレー

古代

紀元前500年~紀元13世紀の間にマレー系民族が移住してきた。900年頃の日付が記録されているラグナ銅版碑文などによれば、当時すでにカウィ文字バイバイン文字など複数の文化を受容出来る成熟した都市国家を形成していたことが明らかにされている。

イスラームの流入

14世紀後半にイスラム教が広まった。中国(明)や東南アジアとの交易で栄えたが、7,000を超える諸島である現在のフィリピンに相当する地域に統一国家は形成されていなかった。

スペイン植民地時代

スペイン植民地支配に抗したフィリピンの国民的英雄、ホセ・リサール

西方から進出してくるヨーロッパ列強に東南アジアが次々と植民地化される中、スペイン艦隊は太平洋を横断しメキシコから到来する。1521年、セブ島にポルトガル人の航海者マガリャンイス(マゼラン)が率いるスペイン艦隊が、ヨーロッパ人として初めてフィリピンに到達した。マガリャンイスはこのとき、マクタン島の首長ラプ・ラプに攻撃され戦死した。1494年スペインとポルトガルが結んだトルデシーリャス条約でブラジルを除く新大陸(インディアス)がスペイン領有とし、1529年のサラゴサ条約でフィリピン諸島をスペイン領有とした。スペインはフィリピンをアジア進出の拠点とした。やがてスペインなどの航海者が来航するようになり、1565年にはスペイン領ヌエバ・エスパーニャ副王領(メキシコ)を出航した征服者ミゲル・ロペス・デ・レガスピ(初代総督)がセブ島を領有したのを皮切りに19世紀末までスペインのフィリピン支配が始まり、徐々に植民地の範囲を広げ、1571年にはマニラ市を植民地首府とし、フィリピン諸島の大部分が征服され、スペインの領土となった。これ以降、約250年間、マニラとアカプルコ(メキシコ)をつなぐガレオン貿易が続いた。

第一共和国とアメリカ合衆国植民地時代

米比戦争を描いたアメリカ合衆国の絵画『パセオの戦い』

米西戦争の最中に独立を果たしたのもつかの間、1898年のパリ条約によりフィリピンの統治権がスペインからアメリカ合衆国に譲渡された。1899年1月21日にフィリピン共和国がフィリピン人によって建国された。5月18日にサンボアンガ共和国サンボアンゲーニョによって建国された。

フィリピン共和国の建国を承認しないアメリカによる植民地化にフィリピンは猛烈に抵抗したが、米比戦争で60万人のフィリピン人がアメリカ軍により無残に虐殺され、抵抗が鎮圧される。1901年にアギナルドが米軍に逮捕されて第一共和国は崩壊し、フィリピンは旧スペイン植民地のグアム、プエルトリコと共にアメリカの主権の下に置かれ、過酷な植民地支配を受けることとなった。1903年にサンボアンガ共和国も崩壊したが、モロの反乱は1913年まで続いた。フィリピン史では、1899年2月から1902年7月までをフィリピン・アメリカ戦争期として位置づけている

1929年に世界恐慌が発生すると無課税でアメリカ本土に移入されていたフィリピンの砂糖がアメリカ本土の甜菜糖やキューバ糖に打撃を与え、アメリカの資産家で破産するものが続出した。そのためフィリピン糖排撃の声が高まり、関税を課すことを目的にフィリピン独立が叫ばれるようになった。

第二次世界大戦と独立

マニラに向けて進撃する日本軍戦車隊(1942年1月)

第二次世界大戦中の1941年12月に、アメリカ合衆国軍との間に開戦した日本軍が、アメリカ合衆国軍を放逐しマニラ市に上陸した。アメリカ合衆国陸軍司令官のダグラス・マッカーサーはオーストラリアに撤退し、大日本帝国陸軍は1942年の上半期中にフィリピン全土を占領した。

その後ラウレルは日本との協力関係を築きフィリピン政府の運営を進めた。日本の敗戦が濃厚になると1944年12月8日に親日義勇隊のマカピリが設立されベニグノ・ラモスなどが参加し、戦闘に加わった

再独立

1945年の日本敗戦に伴い、独立を失いアメリカの植民地に戻ることを余儀なくされることとなったが、1946年のマニラ条約で、フィリピン・コモンウェルスの組織を引き継ぎ、戦前から約束されていたフィリピン第三共和国が再独立した。

と、まあほぼほぼ現代に通じるフィリピンの歴史はこのくらいかなと思います。そのあともだらだらと色々続きましたが、もう別に必要ない部分でした。

歴史をめっちゃ簡潔に

スペインによる支配

アメリカによる支配

日本の支配

独立

めっちゃ簡潔にいうと、まず日本にもきましたよね。織田信長らへんの時代にポルトガルの人たち。ザビエルとかね。

あれがセブ島にもきてそこからまあ国を全部スペインが支配することになりましたよ。

で、スペインらへんの人とアメリカらへんが戦争をしてそれに勝ったアメリカがフィリピンを支配しますよ。と。

そのあとに大日本帝国がフィリピンに侵攻してきて、アメリカもちょっとやばくね、となり日本の支配下になりました。

結局日本も戦争負けたんでそのあと色々あってフィリピンになりましたよ〜。って感じ。

まあつまり、戦争によって色々な国に支配され続けてきた国なんですよね。

というのがフィリピンの歴史をまとめたものです。



総論

フィリピンは現在でも色々なセクションの歴史を色々なところで引き継いでいる国だと分かりました。カトリックが多いのは、スペインに支配されていた時からの名残で、もしかすると、フィリピン人が英語を喋れるのはアメリカ支配の時の名残かもしれません。親日家が多いのは日本支配の時の名残かもしれません。

いま、セブ島にバジャウ族という少数民族が生きています。彼らはセブ島の人々とは違い、独自の言語や文化があるそうです。ちなみに、彼らの宗教はカトリックではなく、ムスリムだそうです。つまり、古代セクションの名残を受け継いでいるということですかね。

これは初めてセブ島へきたときに思ったことですが、フィリピン人の外国語を習得する能力は異常に高いということです。僕が知り合ったフィリピン人は英語、ビサヤ語そして韓国語がペラペラでした。

これも歴史的に色々な国によって支配されてきた過程で発達したフィリピン人独自の能力であることは間違いありません。それから、リタイアビザの友人が言っていましたが、フィリピン人が働かないのはいろんな国がフィリピンを勝手に発展させてきた歴史があるからだそうで。

僕もこれには同意します。そしてフィリピン人女性は被支配者でいることを好む人が多いと思います。これも歴史によるものです。

フィリピンは今後、独自の力で成長していくことができるのでしょうか。おそらくは無理でしょう。しかし、だからこそ日本はフィリピンに進出すべきなのです。