或る違和感を感じながらも朝食を買うためにパンデマニラへと足早に向かっていた。
その違和感がなんであるのか。自宅を出てから3分もしないうちに気が付いた。
「なぜセミが鳴いていない。」
季節は夏の終わり。日本ならひぐらしが鳴き始める時期だろう。
しかし、ここは四六時中じめじめする国だ。それだのになぜ、セミが鳴いていないのだ。
私が初めてセブ島へ降り立ったのが2017年の3月。1ヶ月の滞在であったが、その時もセミが鳴く声を聴くことはなかった。それから約1年後の2月。やはり鳴き声はなかった。
6月からセブ島に滞在して早くも3ヶ月が過ぎた。日本では梅雨も明け、夏になり、そうして夏も終わっているだろう。
その間、人々はそれがまるで電車が通り過ぎる音であるかのように、
なんの違和感もなしにセミの鳴き声を聴いていたはずだ。なぜセミがいない。
この訝しい現実に、私はある先生へとこう尋ねてみた。
「ok,google なぜセブ島にはセミがいない?」
すると先生はこう答えた。
「こちらをどうぞ。」
全く要領を得ない。この先生は知ったかぶりをして他人の回答をさも自分が生み出したかの如く人に教え諭すことでも有名だ。私が知りたいのは、なぜセミがいないのかであってセミの種類ではない。
一方で、様々な情報に触れていると面白い事実も判明した。
アメリカには17年に一度大量に発生する17年蝉という種がいるらしい。別名は素数ゼミ。
大学の数学科のゼミのような名前だ。
他にも調べてみると、エジプトにはセミがいないらしい。
ちなみに、私がハワイに行った時も、グアムに行った時もセミの声を聴くことはなかった。
ここで一応話しておきたいこと、それは、私は特にセミが好きだということではない、ということだ。
単純に、なぜこんなに暑い国にいてセミの鳴き声を聴くことがないんだ。と疑問に思っただけで、セミの大ファンであるわけでは決してない。
夏の終わりに、死んだように路上にひっくり返っているセミが人の足音で突然、「ミミミッ!」とのたうち回りだすあの恐怖は、ほんとうにあった怖い話よりも怖い。
セブ島とは全く関係のない地域の話ではあるが、感動した文を見つけたので載せておきたい。
ヨーロッパの言語体系で育った人は、セミや虫の鳴き声を聞かせて脳波を測定しますと全く雑音として聞いているようです。
セミの鳴き声1つで季節を感じることができるのは、日本人の「もののあはれ」が成せる技なのかもしれない。
そんな夏の終わりに、この曲を聴きたい。森山直太朗で夏の終わり。
私はきっと、夏の終わりにはただあなたに会いたくなるのだろう。
唐仁田 郁夫(カラニダ イクオ)