ワカメが語る、ボランティアとは。~全てが無償の奉仕活動ではない~

ボランティア

皆さんどうもこんにちは。ワカメです。

さて、いきなりですが、ボランティアって皆さんどう思われますか?一度でもボランティアと呼ばれる活動に参加されたことはあるかしら?

“ボランティア 参加” とネットで調べると、日本国内はもちろん、海外でのボランティアの情報がたくさんでてきますわね。もちろん、セブ島内でもボランティア活動の参加はできるわ。セブ島で活動している団体については、また今度記事でまとめるから要チェックね。

それでは今日は、ワカメ、ボランティアについて少し語っちゃおうかしら。

ボランティアとは

まず、ボランティアと聞いたら皆さんはどんなことを想像しますかしら?

ボランティアといっても種類は様々。災害時の救援活動、定期的に行われるゴミ拾い等のまちづくりの為の活動や、駅前で行われている献血だって、れっきとしたボランティアよ。ボランティアの種類や活動を数えれば限りがないけれど、介護・災害・支援・交流型など、色々な形で参加できるから皆さんもきっとどこかで関わったことがあるんじゃないかしら。

さて、ここでワカメの気になる点よ。日本ではなぜだか、“ボランティア=無償“と考えられていることが多く見受けられるのよね。世界では、ボランティアだから無償だなんて考えはないものだから、日本で独自に付いたイメージみたいね。

でもこれは本当なのかしらね?

本来の言葉の意味。

 

もう少し調べてみるとWikipediaではこう書いてあるわね。

ボランティア:日本において、ボランティアとは一般的に、自発的に他人・社会に奉仕する人または活動を指す。ボランティア活動の基本理念は、公共性、自発性、先駆性である
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

どこにも無償なんて書いていないわね。

ボランティア(volunteer)の語源は、ラテン語の「volo」(ウォロ、と読む)。これは、「自分から進んで〜する」「喜んで〜する」という意味があって、もともとは“志願者”“有志者”という意味を持つ言葉でもあるの。つまり”自発性”がその最も中心となるのよ。

でも、日本でボランティアについて語られるとき、肝心の「自発性」や「主体性」は重要視されず、ないがしろにされることがあるわ。例えば、学校行事や会社での行事とかボランティアという言葉を巧みに使って、よいことだから~と強制でやらせようという発想を持つ人がいるわね。

こーゆう人たちは、きっと無償で人の手を借りられて助かる~とでも思っているのかしら。

でも、本来はボランティア活動がもつ最大のポイントは「私」発であることよ。

つまり、自分自身が好きなことや、得意なこと、あるいは憤りを感じること、放っておけないと思うことに自発性をもって取り組むこと。そんな物事であれば、たとえ自分が費用を負担して、無償だったとしても積極的に取り組もうとする、義務や強制では決して生まれない気持ちが芽生えてくるものよね。

日本では、ボランティアという言葉が紹介された時に正確な日本語訳がつけられないで、“奉仕活動”という本来の意味とは少し異なる訳語が使われるようになったみたいね。それで“自発性”よりも“善い行い”という捉え方が広がってしまった。そしてそこに「私」発で動いた時にしか感じられない“無償でもよい”という気持ちの部分を都合よく抜かれたのね。

ワカメ
ワカメ
ボランティアは無償で何かをするって意味じゃない!では無償じゃないなら、ボランティアをすれば何か受け取れるってことかしら?

有償ボランティア ~全てが無償の奉仕活動ではない~

 まず無償とは、“報酬のないこと、報酬を求めないこと “という意味だけれど、ではボランティアが一切の見返りなしに行われているのかという点ね。これの答えはいいえね。

多くのボランティアでは、お金ではない別の形で見返りを受けとることが多いわ。例えば、ボランティアに来てくれる人のために宿泊施設を用意したり、現地での食事も用意したりと、わざわざ来てくれたボランティアのために最低限の物を用意してくれていることが実際は多いわね。献血でもそうよね、献血後にはお菓子や飲み物を頂くこともできる。お金という形ではないけれど、これも立派な【自分が行ったことに対する報酬】ね。


そう。上記のように多くのボランティアの現場では、ボランティア側へ、その活動に対して何かを用意してくれていることも多くある、でもこれはもちろん当たり前ではないわ。

覚えておくべきこと

これらは、受ける側(貰い手)がボランティアに対して誠意をこめて用意してくれているもの。

全てが自分の費用で、しかも手配も自分で、となるとボランティアに参加する人の数が少なくなってしまうでしょうからね。そのための用意だとも取れるけれど、どちらにしてもこれは当たり前ではない。だからもちろん、その用意がない無償のボランティアもあるわ。そのことをボランティアに参加する側の人たちはしっかりと覚えておくことが大切ね。

ボランティアの意味は無償ではないとは言ったけれど、それはあくまでも言葉自体の意味よ。性質的には報酬がなくても、無償でも気にせずその活動に参加できるって気持ちは根底に持っていた方がいいとワカメは思うわ。あくまで自主性を尊重することだから、それで嫌ならそれまで、強制じゃないんだからその時はやめれば良い。それだけのことよ。

完全無償でも問題ないとう精神

災害時は第一に被災者の食事や寝床の確保が重要となる中で、ボランティアに対してそれらを被災地側から用意することは困難に等しいわ。だからこの場合は自分たちで交通費を出して、炊き出しなどの材料も買い揃え、車で寝て、などすべてを自分たちで行うことが必要となってくる。完全無償のボランティアよ。それでも何とか力になりたいと現地に赴ける人でなければ、余計に迷惑をかけることになるわね。

東日本大震災の時は、被災地などで「ボランティアにきているんだから、サービスをしてほしい」という声や、寝る場所、食べ物に文句を言うボランティアもいて、大きく問題視されたわね。ボランティアをしてやっているんだ!!と勘違いして驕った態度をとることは論外ね。

ボランティアをする側のメリット?

自発的にやりたいことをやるからって、ボランティアをする側のメリットって具体的に何?って思った方いるかしら?

ナミヘイ
ナミヘイ
ほんと・・・何のためにみんな無償でもよいからって精神でやるんやろ。有償だとしても報酬が宿とか食事で金にもならへんなんて・・・・
あんたはそんなことも分からないのね。世の中お金が全てじゃないわよ。ま、仕方ないわ。ワカメが教えてあげるから10,000ペソ頂戴
ワカメ
ワカメ

ボランティアは行う側にとっても大きなプラス面があるのよ。

勉強してきたことを、実践の場で挑戦することもできるわ。自分の知識・技術を深めることに最適な場、そして活動地域の人たちや社会とのコミュニケーションを持つことができるから、生きがいや励みにも繋がるわ。

何より、ボランティアを行うことで得られる相手からの気持ちや社会的な評価は、一人だけでは得ることができないことよね。相手がいてやっと成り立つこと。

世界ではよりボランティアは積極的に行われているけれど、引きこもりやいじめ、自殺問題だったり人間関係の問題が多い日本でこそ、ボランティアはもっと積極的に行われるべきだとワカメ思うわ。でもあくまでも自発的でないといけないけれどね。まぁそれが難しいのかしらね・・・・。

ワカメの経験談

実際にワカメ、東日本大震災の後に仙台や福島にボランティアに行ったことがあるのだけどね、地元の方々とコミュニケーションをとって体動かして世間話をして。ってすごく1日1日が充実していた記憶があるわ。お金が絡んでこないからね、事務的じゃなくて、より良いのよね。仕事じゃないから。お爺さん、お婆さんと休んでお菓子食べてくっちゃべっていてもよいのよ。たまにはね。

それに実際に津波がきたっていう高さを目の当たりにしたり、人が一人もいない町がどんなに静かかということも知ったわ。。テレビの中で起こっている問題ではなく、自分がその場所に関わって初めて感じることってあるのよね。

でもこれは人それぞれ受け取り方が違うから、言葉で説明しても仕方ないとワカメ正直思うの。だから、ボランティアする側にメリットはあるのか?って人には、一度経験してみることをおススメするわ。世界中た~くさんの活動があるからね、きっとあなたの興味のあることが見つかると思うわ。

まとめ

ボランティアは、いつのまにか本質が変わっていって、してあげているんだから、来てあげているんだから、何かあるだろう!こうしてくれ!という報酬や見返りを求めて活動する人が増えてきているのも事実ね。自分がやっていることが偉いことだって驕ってしまう。。別に報酬を求めることはダメではないわ。

でも、まず何よりも自らの意思で活動しているということを忘れないこと。ね。やりたくて来たんだって、そう考えると、ボランティアに参加するときは”させてもらっている”という謙虚な気持ちをもつことが出来るんじゃないかしら。

きっかけは誰かのためじゃなくてもいいのよね。経験を積みたい、自分の就職活動に生かしたい…そんな理由からでも良いと思うわ。何のためであっても、自発的に行動し、結果として社会に役立つことが『ボランティア』に繋がるとワカメは思うわ。

 

それでは皆さん、今回も読んでくれてありがとうございますね。

ではまた、次のブログでお会いしましょう。