なぜ和久井港は22歳で社長になったのか。(2)

衝撃の結末にあなたは驚嘆する。
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前回までのあらすじ

和久井は中・高と疎外感を感じながら生活し、将来はジョンレノンのように「世界に影響を与える人間になりたい。」と願うようになる。そして、16歳。高校を1年間で退学し、お笑いの世界へと進むことになる。



お笑いと音楽の乖離

彼が描いていた「ロックバンド」として成功する未来とはかなりかけ離れているように見える「お笑い」の世界に彼は飛び込むことになる。彼はそこで何を得ようとし、実際何を得たのか。

 

和久井:「お笑いって、音楽とはめっちゃかけ離れてるように見えるじゃないですか。だけど、お笑いも音楽も映画も、抽象化すると全て「表現」「創造」というところで共通するんですよね。お笑いって、バカがやってるようにみられるんですけど、計算して人を笑わすことの難しさとそこの美徳に感動したんですよね。それで、お笑いやれば音楽もできるし、映画もできる。英語が喋れれば、海外でも活躍できる。そんな訳でお笑いをはじめました。」

 

彼が目指したお笑いとは、日常を切り取ってそこに「非日常」を埋め込むというものだった。

和久井:「なんか、漫才にしてもコントにしても理解できないシチュエーションって人は入り込みにくいでしょ。だから日常的に起きる出来事とかテーマを常にネタの基本にするようにはしてました。」

 

彼の代表的な漫才は、「オチを先にいう人」というタイトルのネタだった。

 

和久井:「電車の中で漫才してる人っていないでしょ。でもなんでお客さんの前では作り込まれたネタをみんなやるんだろう。と思って、それであえて相方が話すおもしろ話のオチを先に言うっていう漫才をやりました。お客さんも自分らも同じ世界で同じ時を過ごしている人間で、我々は作り込まれた商品じゃないですよ。っていうのをアピールしたかった。ものを売りたい人が「買ってください。」とは言わないみたいな。」

 

得たものは、これまでとは真逆の感覚だった



 

17歳という若さで養成所に入った和久井は、その斜に構える態度を気に入られて講師から悪くない評価を得ることができた。しかし、そこで過ごす中で感じたことは、自分と本当に面白い人との間にある「知識」という壁だった。

和久井:「同期にめちゃくちゃ面白い人が数人いて、なんで面白いんだろう。ってその人たちに色々話を聞いてたら全員超高学歴だったんだよね。彼らはみんな大学生だったんだけど、ああ、本当に面白い人って本当に頭いいんだなあ。と思って。慶應って大学が良いのか悪いのかも知らなかったんだ、その時。」

 

勉強を、する

和久井:「お笑いの同期が面白くて、知識が豊富で、これまで勉強して来なかった自分って、間違った判断だったんだ。って気づいたんだよね。本当に面白い人って、賢いし、頭の回転も早いし、ああ、足りない。自分は確かに表現したいものはあるけど、このままではきっともっと上にはいけない。表現者として、天井が見えてる。そう思いましたね。」

 

彼は生まれて初めて本屋へ行き、「人間失格」(太宰治・著)を買った。

和久井:「知識ってどうやって身につけるんだろ。って考えてたら、母親が「読書しなさい。」て教えてくれて、その中でもなんとなく面白そうなタイトルの人間失格を買って読んでみたんです。その時の衝撃がすごかった。多分、ここでまた人生が変わった。なんて面白いんだこの人は!って、それから毎日本屋に行って太宰治の本を買って読んでました。電車の中でも車の後部座席でも、友達の家に泊まりに行ってもずっと本を読んでました。」

 

彼は太宰治に始まり、日本の有名な小説家の本はほぼ全て読破してしまった。毎日寝ずに本を読み漁ったのです。そして、日本だけでは飽き足らず海外の文学まで読み始めたのです。

 

本を読むことは、まだ知らないことを知ること

 

彼は本の面白さに感嘆し、17年間のつけを払うように毎日毎日本を読み続けました。そしてついに、彼はこう考えるようになったのです。「大学に行こう。」

 

和久井:「あそこまで勉強してなかった自分が大学ですよ。今考えると本当に変人ですよね。そもそも茨城の最底辺の高校をやめるほど学校が嫌いなのに、なんで大学?って。でも、その当時、毎日本を読んでいて、自分が経験したことがないことを経験したようなきになれる本ていうのはすごい創造物だと思ったんです。もっといろんな本を読みたい。それで、かねてより「世界に影響を与える人間になりたい。」と思っていた僕は英語と文学を一編に学べる英文学科にいこうと決意するんです。」



孤独との、戦い

 

和久井:「そういえば、高校を退学した後に通信制高校へ編入するんです。僕はいらないと思ってたけど両親が「高卒資格は親の最低限の責任だから、この願いは受け入れて欲しい。」と言われて、まあ「yes」と答えました。今思うと、両親には大変な苦労をかけたし、それでいてその時に両親にしたがって良かったなあって思います。」

 

彼はお笑い養成所と相方にしばしの別れを告げ、猛勉強を開始しました。1日、長い時は17時間にも及ぶ自習を行いました。しかし、彼はやはり変人だったのです。社会科の勉強は一切しませんでした。

 

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